11月5日言葉の世界のジェンダーバイアス

11月5日のWiki Gapプレイベント、「言葉の世界のジェンダーバイアス」に参加してくださった方がレポートを書いてくれました!
 
 
Wiki Gap という催しがいろいろなところで開かれていることは知っていました。ウィキペディアにおいて、女性についての記述を増やすという目的で行われていることも。でも参加したことはないのでそれ以上は知りませんでした。今回、Wiki Gapのプレイベント「言葉の世界のジェンダーバイアス」に参加させていただいたのは、タイトルにとても惹かれたからです。ことばとジェンダー が関わる場面でおかしいなあと思うことはこれまでの人生でたくさんありました。また、私がおかしいなあと思うことを他の人(たいてい男性)はなんとも思わないということもたくさんありました。私からするとなぜおかしいと思わないのかがわからない。しかし同じようになぜ私がおかしいと思っているのかがわからない、なぜ怒っているのかわからない、と思う人もいるのだろうとは思います。ジェンダーに関して、女性の方たちによって語られる場に自分の身を置けば、日頃の憤りが癒されるに違いない。というわけで、とても期待値を高くして当日に臨みました。
 
当日は、山本さんの今日の主旨説明やこのイベントの実施主体の紹介の後、最初に愛知大学樫村愛子先生がジェンダーについて、特にことば にまつわるトピックに重点をおいたお話を、次にウィキペディアンでもある武蔵大学の北村紗衣先生がウィキペディアについてとそこに存在するジェンダーバイアスについてのお話をされました。
 
続いて朝日新聞の伊藤あかりさんは、取材のネタ元も男性、新聞に何を載せるかを決めるのも男性なので、ジェンダーバイアスがかかっている。しかしウィキペディアで二次資料として使用される新聞の根拠性に頼られる怖さをお話しされました。豊橋市議の古池ももさんは伊藤さんの話を受けて、ある新聞社であった「社会面は男性が読むところだから性教育の話は載せられない」という話を紹介されました。
 
イギリスのキャサリン・ミドルトン妃(のウィキペディアを見たらウィリアム王子の「配偶者」と表現されていました。自分では「配偶者」という語は思いつかないことに今気づきました)のウェディングドレスについてだけの記事があり、それが削除するべきかどうかという問題にまで発展したという北村先生のお話はとても興味深かったです。ウィキペディアを見ると、時々「記述が異常に詳細すぎる」と感じる記事があります。それは書き手の知識の豊富さの反映なのでしょうけれど、世の中にはもっと重要な事象があり、それらよりこっちの方が記述が多いのってバランス悪い(どの事象が重要かどうか判断する資格が私にないのは勿論ですが常識的に考えて、ということです)のでは?と思うこともありますが、だからと言って「記述が異常に詳細すぎる」と私が感じる記事がない方がいいとは全く思いません。(この件に関しては北村先生の書かれたhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/57657    をご参照ください。)
 
2011年のウィキペディア財団の調査によると、ウィキペディアンの女性の割合は9%だそうです。どなたが仰ったのか失念してしまいましたが、マウンティングとして知識量を競うことを男性はするけれど、女性はしないから女性によって書かれる記事が増えないという話が出ていました。現実社会の方が女性の割合は多いですけれど、何を書くか書かないか、何を残すか残さないか、何を載せるか載せないかを決めることのできるポジションは男性の方が多く就いていると思います。そういう面ではウィキペディアは現実を(少し極端な形で)反映しています。ということは、現実世界が変わればウィキペディアの世界も変わっていくと言えましょう。もちろん現実世界がガラリと変わるとは到底思えませんが。
 
また、知識量を競うというのではない動機でウィキペディアに参加している人も性別限らずいると思います。地元では女性のウィキペディアンも結構いると発言された方がいらっしゃったので、どうして結構いらっしゃるのか話を聞いてみたかったです。
 
下位の存在(このイベントでのテーマだと女性)が持つ価値観を自分に取り入れる必要は感じないし今まで通りで問題ないと言う認識に疑問を持たず、何よりも下位の存在がもの申すことに嫌悪感を覚え、自分が脅かされると感じてしまう。ということに対して腹が立ったり悲しくなったりすることはこれからもきっとふんだんにあることでしょう。でも今回のイベントのような、新しいことを知って考えて話し合う機会があることは楽しいです。楽しかったです。情報量が多くて消化できないところもまだありますが…ありがとうございました。(かくそうこ)